旧家と提灯と番傘と

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 今日も雨の一日になりそうだ。パソを開くと一度元気な内に

お目に掛かれたらと思う方から素敵な写真が送られて来ていた。

新潟の旧家にお住まいの妹さんを思い描いて居る内に母の実家で

過ごした日々が思い出された。


 広い土間を這入ると、土間の長押には家紋を入れた白い箱が並び、

その下には来客用の番傘が何本も吊されていた。子供心に白い箱の

中身が何で有るのか知るよしもなく不思議な存在だったが。

 祖母が亡くなったときにその謎が解けたのだった。

先祖が箕輪城主に仕えた旧家だった母の郷には、子供には

興味のある物が沢山あった。

 祖母の葬儀の夜に白い箱が開けられ、門に高張り提灯が掛けられ、

弔問客が帰る時には、幾く張りかの提灯がお供をして行ったのだ。
白い箱の中には家紋が這入った提灯が這入っていたのだった。

来客が有り雨が降り出せば帰りには、屋号が大きく書かれた番傘が

お供をし、古風な習慣は、叔父の代まで続いていたようだ。

戦後の物不足の時に、番傘は少しずつ無くなっていった。

 雨の日が嫌だったのは、番傘の重みと大きさと近道が出来ない

ことで。至る所に桑畑が有り大きく枝を伸ばした桑の枝は堅く、

少し道を避けると番傘が破れ家に帰り怒られるので嫌いだったが、

今にして思えば懐かしい思い出である。

 ランプのほや磨きも、手の小さい子供の仕事で此も嫌いだった。
着物を汚さないようにランプを拭くのは大変だったしガラスが

割れる恐怖が何時も付きまとっていたから。

 番傘は嫌いでも母が戦後も大切にしていた蛇の目傘は大好きだった。

蛇の目傘を開くと細く綺麗に削られた竹の骨が色取り取りの美しい

糸で編み上げられて居る様は見事な細工で忘れられない。

 雨の日に中歯に爪革を付けて蛇の目傘を七分に差した姿は

子供心にも綺麗に見えたものだ。
「夜目・遠目・傘の内」と言われる由縁だろうか。

未だに大切に一本の蛇の目を持っているが差す機会に恵まれないで居る。

戦中派で疎開子でなかったらこんな経験は出来なかったと思うと懐かしさと有り難さとが
背中合わせで思い出される雨の降る寒い日も良いのかも知れない。